Drug Repositioning

医薬品

以前、日本の製薬産業界の中では「育薬」と呼んでいた範疇に入る概念ではなかろうかと思います。Drug repurposing とも呼ばれたり、日本語では既存薬再開発などと訳されたりもします。1

育薬?クスリが育つの? と思われるむきもあろうかと思いますが2、クスリの市販後に広く使用経験を積む事により、その知見を活かして、どのように使用したらより安全により効果的に使えるかを把握して、患者さんに使用してもらえるようにする活動を総称してこのように呼んでいました。3

その中でも、既に使われているおクスリが他の目的4に使う事が出来るのではないかと研究をして実用化する事をDrug Repositioningと呼んでいます。

Drug Repositioning

ご存じの通り、おクスリの開発には膨大な年月と費用が掛かります。 様々な試算がありますが、一説には10~15年の研究開発期間と500~1500億円の資金が必要と言われています。

分子レベル/細胞レベル/遺伝子発現/組織レベル/器官レベル/臓器レベル/個体レベルでの探索研究から始まり、動物を用いた非臨床試験で有効性と安全性確認をくぐり抜けた化合物だけが臨床試験に入る事を許されます。ここだけでも最低5年、長ければ10年。

候補化合物は、少数の健常成人ボランティアの参加する臨床試験5でヒトでの安全性が確認できた後に、小規模の患者さんへ投与して至適用法用量の設定および有効性と安全性を確認する試験6へと進みます。

その後、患者さんに参加していただく大規模な試験7で安全性と有効性が改めて確認されるとおクスリとして申請でき、承認されると晴れて発売されます。 ただ、全ての臨床試験には5年から10年の月日と莫大なお金がかかります。

ここで説明したのは、全く新しい化合物を開発する場合です。8 ですが、もし、既に使われているおクスリに新たな薬効が見つかった場合はどうなるでしょう。

おクスリの開発は、その有効性と安全性を確かめながら、一歩づつステップを進めていきます。特にヒトに投与するときの安全性の確認には慎重な検討が必要です。

ですが、既に使われているおクスリであれば、臨床試験に至るまでのかなりのプロセスや臨床試験の最初のPhaseがかなり省略できそうだという事は容易に想像できますね。

つまり、この方法を使えば、クスリの開発に必要な時間と費用が一気に節約され、しかも安全性についてはある程度クリアした化合物が手に入る訳です。

ALSのおクスリ

つい最近、日本の医薬品開発現場においてとても喜ばしい(と筆者の考える)ニュースが飛び込んで来ましたのでご紹介します。ついでにそこに出てくる様々な名前のお話もしましょう。

日本経済新聞5月20日版に「iPS創薬で初の有効性確認、ALSの治験で 慶応大」と載りました。以前より話題になっていたALSのおクスリの開発がまた一歩前進したようです。

ALSというのは、筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis)と言いまして、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病です。

進行すると呼吸も自力ではできなくなってしまうと言う大変辛い病気で、進行を遅らせるクスリはありますが、その効果は限定的です。開発がうまくいって一刻も早くクスリを待っている患者さんに届く日が来て欲しいと心から思いました。

iPS創薬

このALSの治療薬を探すために、iPS細胞を使った新しい手法が用いられました。

iPS細胞とは人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells)9の事で、育て方によっては体中のどこの細胞にも成り得る超便利な奴です。2006年に山中伸弥先生らにより発見されました。その後2012年にノーベル賞を受賞された事は皆さんよくご存じと思います。

慶応大の岡野先生らのグループはALSの患者さんから頂いた細胞からiPS細胞を作成し、運動神経に成長させた上で、細胞レベルで神経死を抑制する化合物を探しました。

その結果、およそ1200の化合物の中から、細胞死の進行を遅らせる事の出来る化合物を発見しました。Ropinirole と言います。10

もともとはパーキンソン病に使うお薬で、脳内のドパミンD2受容体に作用して症状の改善を目的として使われています。ですので、ALSの治療に使えるかもしれないという想定は最初からありません。

レキップCRと言う製品名で既に臨床的には長いこと使われており、ヒトへの投与時の安全性につきましては一定の経験があります。

ですので、実際のALSの患者さんへの有効性と安全性を確かめるための医師主導治験の開始は、全くの新規の化合物の治験と比べるとハードルは低くなります。11

日本経済新聞5月20日版に「iPS創薬で初の有効性確認、ALSの治験で 慶応大」の記事の中では慶大の中原仁教授と岡野栄之教授らのチームが、20人のALS患者さんが参加した医師主導治験で病気の進行を遅らせる効果を確認できたとの事でした。今後の開発が大変期待されます。

新しい細胞の発見があったから、それを使った新しい方法や新しい概念が生まれ、それに伴ってiPS創薬と言う新しい言葉が使われる様になったのだと言えます。

更にこの研究のすごいところは、個々の患者さんのiPS細胞から神経細胞を造り出し、あらかじめ試験管内で薬効を予測できる仕組み「personalized medicine」が実現できそうなところだと思います。投与前に効くヒトかそうでないかが判ります。12

昔2008年頃だったと思いますが、とある学会で、iPS細胞の発見者である山中伸弥先生の講演を聞く機会がありました。その際、iPS細胞の応用展望に関して、一つは細胞そのものを活用した再生医療の展開を話されていましたが、もう一つには、患者細胞を利用した病態の再現と医薬品開発プラットフォームの構築をあげられていました。

その頃はiPS創薬と言う言葉はありませんでしたが、ついにその成功事例まであと一歩のところに到達したのだな~と感慨に耽った記事でした。

  1. Drug Repositioningと言う言葉が産まれた頃は「開発が中止された化合物や発売済みの製品について、新たな適応症を探索して製品化する事」と説明されていた。医薬品への安全性上の要求が年々厳しくなる中、新薬開発の成功率は低下しており、開発効率改善の1つの手段として2010年頃から期待され始めた。
  2. 決して錠剤が大きくなるなどという訳もなく…
  3. 【育薬の事例:アスピリン】
    誕生以来、100年以上にわたり使われている『アスピリン』は、患者さんへの治療によって成長を続けてきた医薬品と言えます。
    アスピリンは、優れた解熱鎮痛作用を持つ薬ですが、患者さんによっては消化器系への副作用がありました。そのため、副作用を克服する研究が世界中で進められ、ついに原因となる物質だけを選択的におさえる薬剤の開発へと繋がっていったのです。
    また、アスピリンは、治療に使われる中で、本来の作用とは全く別の血液が固まるのを抑える作用が発見され、現在では、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞などの血栓・塞栓形成の抑制薬としても利用される様になりました。
    一方、長年、慣行的に使用されてきた薬であっても、使用途中でとんでもない副作用が発見される場合もあります。
  4. 適応症と言います:英語だとindication
  5. Phase I:臨床薬理試験
  6. Phase II:探索的試験
  7. Phase III:検証的試験
  8. 新薬の種類(申請区分)で言いますと、「新規成分含有医薬品」と呼ばれます。
  9. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17554338/ Nature. 2007 Jul 19;448(7151):313-7. Generation of germline-competent induced pluripotent stem cells, Keisuke Okita 1, Tomoko Ichisaka, Shinya Yamanaka
  10. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30127392/ Nature Medicine volume 24, pages1579-1589 (2018), Modeling sporadic ALS in iPSC-derived motor neurons identifies a potential therapeutic agent, Koki Fujimori, Mitsuru Ishikawa, Asako Otomo, Naoki Atsuta, Ryoichi Nakamura, Tetsuya Akiyama, Shinji Hadano, Masashi Aoki, Hideyuki Saya, Gen Sobue & Hideyuki Okano,
  11. 新薬の種類(申請区分)で言いますと、「新効能効果医薬品」と呼ばれます。
  12. <サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> バイオバンクジャパン[個の医療] https://ytoku-science.fun/242/ , 自分の情報は自分で管理[個の医療 続編] https://ytoku-science.fun/245/ 見てね
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