体の中の滝

免疫系

1930年頃のお話です。

人工授精の研究をしていたお医者さんが、ヒトの精液の中に子宮を収縮させる物質がある事を発見しました1。この物質は、脂溶性(油に溶け易い)かつ酸性で、発見当時は前立腺で造られているのだと考えられていました。

前立腺は、英語で prostate gland:プロステートグランドです。そこで、この物質はプロスタグランジン:prostaglandin、略してPGと名づけられたのでした2

ところが….

その後の研究で、最初に発見されたPGは前立腺ではなく、全然別の精嚢腺:vesicular gland と言うところで造られていた事がわかったのです3

名前は決まったけど、実は早とちりだったのですね。でも「一度名前つけちゃったからこのまんまで良いや」と言う事で現在に至っています。

最初に見つかったのはPGE2と言う種類の物で、子宮だけではなくて色々な臓器の平滑筋を収縮させる作用を持っています。

その後、ちょっとずつ構造と活性が異なる類縁体が生体の至るところで次々と見つかり、PGの後ろにつけたアルファベットと数字で分類される様になりました。

今では、PGの仲間は20種類を超えて存在する事が判っています。

カスケード

カスケードと言うのは、幾つもの小さな滝が連なって流れ落ちれている様子を表す単語です。

一つの出発物質が次々と別の分子に変わっていく代謝の様子であったり、また、一つの出発物質が次の酵素反応の引き金になって、連鎖反応によって素早く大量の物質を生成する体内の代謝反応を表す言葉として、生命科学の領域においても使われています。

PGの生成の経路は前者の代表でして、後者の代表はフィブリンを一気に生成して素早く止血をする血液凝固カスケードがあります4

炎症の際にアラキドン酸を出発物質として生成される物資としては、PGの他には、トロンボキサン(TX:thromboxane)5と呼ばれる脂質や、ロイコトリエン(LT:leukotriene)と言う脂質もあります6

簡単にその変換経路の様子を見てみましょう。 7

この様に一つの出発物質から、様々な代謝産物が出来上がり得る経路の事を「滝:cascade」になぞらえて「アラキドン酸カスケード:arachidonate cascade」と呼ぶのでした。

見方によっては滝に見えるでしょ。強引かな。

なんちゃらノイド

細胞に炎症刺激が加わると、「phospholipase A2:ホスホリパーゼA2:PLA2」と言う酵素が細胞膜の主要構成成分である「phospholipid:リン脂質」から脂肪酸を切り出します。

脂肪酸はヘテロな集団なので、様々な炭素数のモノがありますが、炎症反応をメディエートするのは炭素数が20個のモノです。

数の数え方と脂肪酸の命名は以前にご紹介しましたね。8

20はエイコサ、あるいはイコサです。そして、脂肪酸分子が酸化/還元反応により二重結合を4個持つように代謝されます。と言う訳でエイコサテトラエン酸と言います9

出発物質を同じくする代謝産物としては、COXにより変換されるPG類/TX類の他に、リポキシゲナーゼ:lipoxygenase:LyX と言う酵素で変換されるロイコトリエン:leukotriene 略してLT類も有名です10

ここでも炭素数が変わる様な代謝をしませんので、PG類/TX類/LT類のいずれの分子も炭素の数は20のまま。

だからPG類/TX類/LT類は、全部ひっくるめて「エイコサノイド」と呼びます。

単語の後ろに「~~オイド」とつく言葉は「~~の仲間達」「~~っぽいモノ達」を意味するのです。似たような名前で、カロチノイドとかフラボノイド11、テルペノイドなんて単語はお聞きになった事があるのではないでしょうか12

脂質メディエーター

PG類/TX類/LT類 は出発物質が全て同じアラキドン酸と言う脂肪酸でした。従ってその性質は想像通り油っぽい物であります13

これらは細胞の外に放出されて他の細胞に「炎症が起こっているぞ~」との情報を伝達する役目を背負っています。

油と言っても、カロリーを溜め込むだけの物ではないのです。このように情報伝達物質として働く油を「脂質メディエーター」と呼んでいます14

代表的なプロスタノイドについて、生物活性をいくつか例示すると以下の様になります。

  • PGG2:血圧低下/血小板凝集
  • PGH2:血小板凝集
  • PGF2α:黄体退行/平滑筋(子宮・気管支・血管)収縮
  • PGE2:胃酸分泌抑制/胃粘膜保護/平滑筋収縮/末梢血管拡張/発熱・痛覚伝達/骨新生/骨吸収
  • PGA2:血圧低下
  • PGB2:血圧低下
  • PGD2:血小板凝集/睡眠誘発15
  • PGJ2:抗腫瘍
  • PGI2:血管拡張/血小板合成阻害16
  • PGF1α:不活性化体
  • TXA2:血小板凝集/血管・気管支収縮
  • TXB2:不活性化体

ここに紹介した脂質メディエーター達はハンパなく生物活性が強いので、これらのエイコサノイドを利用して、あるいは代謝拮抗等を狙って様々な医薬品が開発されました17

シクロオキシゲナーゼを阻害するお薬

PLA2によって遊離したアラキドン酸は、PG生成のカギとなる酵素、シクロオキシゲナーゼ:cyclooxygenase(Cox:コックスと呼んでいる)18によって最初の分子変換が行われます。

COXがちゃんと働かなければアラキドン酸カスケードの流れは上流で止まってしまい、PG類/TX類が全て作られなくなります。

COXが止まってしまうのは正常な状態では良くない事なのですけれども、とりあえず炎症、発熱、痛みが激しくて、何としても治まって欲しい緊急事態の時にはこの経路を止める必要があります。

それは、PG類/TX類が炎症を引き起こす因子であり、発熱や痛みの伝達にも一役買っている分子だからです。

COXの働きを邪魔する事で抗炎症/解熱/鎮痛作用を発揮するのがアスピリンに代表されるNSAIDsです。ロキソニンだってボルタレンだってこの範疇に入ります19

NSAIDs20と言うのは非ステロイド性抗炎症薬:nonsteroidal anti-inflammatory drugs の略称です。

抗炎症剤としてのパワーはステロイド製剤21の右に出る物はなく、現在でも究極の魔法薬ですが、いかんせん使用頻度が増えた時に深刻な副作用が出ますので、使用には慎重になります。

コレと区別するために、わざわざ「ステロイドではない抗炎症/解熱/鎮痛薬」というカテゴリで呼ばれています。

クスリと言うのは「役に立つ毒」ですので、当然NSAIDsにも暗黒面22は存在し、「胃腸障害」と言う副作用に現れます。

PG類には胃粘膜を保護する作用もあるのですが、COXを阻害してしまうとそういった有益な作用も同時に失われてしまうからです。

ロキソニンを処方されるときに同時に胃薬を処方される事が多いのはそうした理由があるからでして、理力23によって暗黒面を封じこめる訳です。


おまけ解説

  1. 何をしていたのだろう?
  2. インスリンの発見と同様にプロスタグランジンの発見でも何人かがノーベル賞を取っているはずである
  3. もしかしたらベシクラグランジンとかになっていたかもしれない(そんなの無いけど)
  4. <サイエンスお父さんの家庭内生物学講義>凝固因子 https://ytoku-science.fun/82/ 参照
  5. 名前に「トロンボ」とついていると血小板関連か血液凝固関係の言葉
  6. LT 類には次の分子が知られている:LTA4/LTB4/LTC4/LTD4/LTE4/LTF4
    アラキドン酸:arachidonic acid を出発物質として、

    パーヒドロキシエイコサテトラエン酸:perhydroxy eicosatetraenoic acid:5-HPETE

    ヒドロキシエイコサテトラエン酸:hydroxy eicosatetraenoic acid:5-HETE

    LT類
    の様に造られていく
  7. 代謝する酵素は臓器と細胞により異なるので全てのPGが一度に一ヶ所でできる訳ではない
  8. <サイエンスお父さんの家庭内生物学講義>脂肪酸アレコレ https://ytoku-science.fun/73/ 、中性脂肪https://ytoku-science.fun/40/ 参照
  9. 二重結合を持つ位置もちゃんと決まっている。正式な名前は、(5Z,8Z,11Z,14Z)-イコサ-5,8,11,14-テトラエン酸。慣用的に「アラキドン酸:arachidonic acid」と言う妙な名前で呼ばれている
  10. ロイコトリエンの名前の由来はleukocyte (白血球)と triene (3 つの二重結合)の2 つの単語の造語
    だがしかし、後の研究で二重結合は4つ有ることがわかった (名前の話はこんなんばっかりや)
  11. フラボノイド:flavonoid
    やっぱりガムに入っている
  12. ついでに言うとエイコサノイドの内、LT類を除くPG類/TX類を「プロスタノイド」と言う。由来は「プロスタン酸を持つ仲間達」
  13. 脂溶性が高いと言う
  14. 脂質メディエーターは生物活性を持つ脂質/特に細胞外に放出され他の細胞の細胞膜受容体に結合すること
    によって作用する分子を指す
    ・プロスタグランジン
    ・ロイコトリエン
    ・血小板活性化因子 (PAF)
    ・内因性カンナビノイド
    ・リゾホスファチジン酸
    ・スフィンゴシン一リン酸 など。
    同じ脂質であり情報伝達に関わる分子のステロイドホルモンはこの中には入っていない
  15. PGD2 と言う奴は髄液中に現れヒトの睡眠を制御すると言うトンでもない研究が昔でてビックリした
  16. PGI2 には特別にプロスタサイクリン:prostacyclin と言う別名があるちょっと変わった環状構造を持つからつけられた
  17. ラタノプロスト:PGF2αの誘導体。房水流出を促進し、眼圧を下げる。
    緑内障のクスリである
    リマプロスト:プロスタグランジンE1製剤:閉塞性血栓血管炎に伴う潰瘍、疼痛および冷感などの虚血性諸症状の改善
    エポプロステノールナトリウム:プロスタグランジンI2製剤:肺動脈性肺高血圧症
    ジノプロスト:プロスタグランジンF2α製剤:妊娠末期における陣痛誘発・陣痛促進・分娩促進
    ラマトロバン:プロスタグランジンD2・トロンボキサンA2受容体拮抗剤; アレルギー性鼻炎治療剤
    ベラプロストナトリウム:経口プロスタグランジンI2誘導体製剤:慢性動脈閉塞症に伴う潰瘍、疼痛及び冷感の改善
  18. 構成的コックス ⇒ COX1 と
    誘導的コックス ⇒ COX2 が有る
  19. 頭痛持ちの筆者の常備薬はナロンエース。いつ襲ってくるか判らないのでついいっぱい買ってしまう
  20. NSAIDs:エヌセイズ と読む
  21. ステロイド医薬品と言うのは体内の
    ステロイドホルモンの構造と機能を参考して作られた。
    細胞の中にある「核内レセプター」と言う特別な受容体にくっつき転写因子に作用して遺伝子発現に直接影響するステロイドは細胞膜を通過して細胞の中に入っていかなければならないので油の性質(脂溶性)である
  22. 暗黒面:DARK SIDE
  23. 理力:FORCE それにしても古い…
    1977 年のシリーズ最初の映画公開時には「理力(りりょく、りりき)」という訳語が充てられたが、近年では全く使われない (WIKI より)
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