ワックス

生体材料

ワックスとは?と聞かれた時、大学で化学/生化学を専攻したヒトなら、きっと脂肪酸と一価又は二価アルコールにより形成されたエステル1の事だと答えるでしょう。2

教科書的に狭い意味でこの名前を使う場合はこれで正解。

ただ、広い意味での実用上は、これと良く似た性状を示す中性脂肪3や高級脂肪酸4、あるいはごく単純な炭化水素5などもひっくるめてワックス6と呼びます。

日本語では蝋(ロウ)ですね。

実際の所、ワックスは正式な化学用語とは言えず、いろいろなものがゴッチャになって使われており、明確な定義は存在しません。

なんとなく固形で、手の熱くらいでしっとり溶ける油、程度の認識で良いでしょう。

様々なものの表面に塗り込んで表面を保護したり、光沢を与えたり、擦れ合う部分に潤滑性を与えたり、燃料としてロウソクにと大昔から活躍していました。

ビーズワックス

歴史的には、動物や植物の油脂から採取されてきました。

近年では、原油を分留7した時に得られる炭化水素である、パラフィン系炭化水素と呼ばれる物が主に使われています。

人類とワックスの関わりは古く、紀元前4200年頃のエジプトの遺跡からミイラの保存に使用されていたのが発見されています。

また、ツタンカーメン王の墓から4個の燭台が発見されていますので、紀元前1300年代には現在の形のロウソクも出来ていたようです。

その時代のワックスは、ミツバチ達が巣を作る時に分泌する蜜蝋8でした。

主成分は炭素が26個繋がった脂肪酸であるセロチン酸とパルミチン酸ミリシル。9

実はワックスと言う名前は、この蜜蝋のラテン語そのものから来ています。そして、漢字の蝋は虫偏が付いていますので、洋の東西ともに語源は一緒なのです。

ワックスいろいろ

日本では、ハゼノキの果実から作られるハゼ蝋と言うのを和蝋燭や木製品のツヤ出しに使っていました。

ハゼ蝋の主成分は化学的には中性脂肪10であり、パルミチン酸 CH3(CH2)14COOH のトリグリセリドです。11

ブラジルロウヤシの葉の表面を覆う成分からはカルナバ蝋が出来ます。

非常に堅く、大理石のような上品な光沢が出るので、錠剤のコーティング12や高級なカーワックスに良く用いられています。主成分はセロチン酸ミリシル CH3(CH2)24COO(CH2)29CH3 とミリシルアルコール。

植物由来では他にもいろいろ知られ、サトウキビやパーム椰子からもワックスが作られます。

蜜蝋以外の動物油脂で有名なのは鯨蝋。13

マッコウクジラの脳油から、鯨油を分離した残りです。捕鯨禁止まではロウソクや化粧品の材料などとして用いられて来ました。主成分はパルミチン酸セチル CH3(CH2)14COO(CH2)15CH3 。

以上、自然界に存在する代表的なワックスの成分の中にはたくさんの名前が出てきました。

パルミチン酸は脂肪酸の一種で炭素16個のモノの慣用名です。ヘキサデカン酸ですね。セロチン酸は同じく、炭素28個。14

また、ミリシルアルコールは炭素30個のアルコール、セチルアルコールは炭素16個です。

ワックス関連で出てきた脂肪酸とアルコールはそれぞれ、高級脂肪酸15、高級アルコール16 の範疇に入ります。

高級との名前が付いてはいますが、分子の質とは何の関連もありません。炭素がたくさんある事を単に英語で “higher” と言っているだけなのに、勘違いして変に日本語訳しちゃったらしいです17

さて、19世紀後半になり、石油工業が隆盛を見せてくると自然界からのワックスよりも安価で大量に供給できる石油系のワックスが主流になります。

石油系のワックスは、構造の特徴がパラフィン系統の炭化水素である事から、単にパラフィンとも呼ばれる場合もあります18

すなわち、二重結合の無い19単純な炭化水素化合物で、炭素の数が概ね20個以上あるのが、現代のワックスです。

スキーのワクシング

筆者にとって一番馴染みがあるのがスキー20のワックス(車は洗いませんので…)だったりしますのでそのお話を。

夏の間にせっせとベースワックスを染み込ませて、スクレーパーで削り…などと言う事は一切やった事はありませんが、お手軽スプレーワックスを一本は持って行かないと、ベタ雪の時にさっぱりスキーが走らず、悲しい思いをします。

逆に、雪温が低すぎるとソールに雪がぺったり張り付いてもっと悲惨。

大変お世話になっているワックスですが、これは前項で説明したパラフィン系炭化水素と言うので出来ています。

スキーの(そしておそらくはボードも)ソールはポリエチレン21と言う高分子化合物で出来ています。

ポリ-と言うのはたくさんのを表す接頭語でした。だから、たくさんのエチレンが重合して出来たプラスチックの名称です。

エチレン22と言うのは、炭素2個、水素4個で出来たとても単純な化合物でして、化学の言葉では炭化水素化合物23と言います。

それが重合24と言う化学反応を経て、巨大分子になっています。

PEは、いくら巨大になろうが、材料が単純な炭素と水素だけであり、直鎖状の単純なハイドロカーボンであります。

さて、もう一方のワックス分子の特徴はパラフィン系統の炭化水素であった事を思い出して下さい。だからこれも当然ハイドロカーボンでして、構造もすごく単純です。

両者は構造が似通っているので、性質もとっても良く似ています。ですので、親和性25が高く、ワックス分子の一部がポリエチレンで出来たスキーソールの中に染み込んでソール全体を保護してくれます。

と同時に、ソールの目に見えない凸凹キズにしっくり食い込んで引っ掛かりを無くし、楽しいスキー26が出来るのでした。

フッ素の利用

滑走ワックス27をちゃんと選ぼうとすると、いろいろな種類のものが有り過ぎて、選ぶのに困る事に気付きます。

真剣に競技スキーをやるヒト達は、ソールにベースワックスを塗った上に、雪質と雪温に適合した滑走ワックスを重ねます。

ちょうどお化粧でファンデーションをきちんとやった上に専門のアイテムを重ねて行くのと似ています。ベースをちゃんとしないとアイテムがうまく乗ってくれません。

その滑走ワックスの中にはフッ素入りと言うのがありまして、非常に高価なのですが性能はズバ抜けているそうです。

炭化水素の一部分にフッ素(元素記号:F) が入っているのですね。28

フッ素がチョッと入ると、分子の性質が劇的に変わるのです。

1940年代、アメリカのデュポン社がフッ素の入った画期的な物質を作り出しました。ポリテトラフルオロエチレン29 と言いまして、商品名はテフロンです。

極低温から高温まで耐え、不燃、電気を一切通さず、ほとんどの薬品の影響を受けず、どのような物質も固着しません。30

紫外線受けてもほとんど劣化しないというトンデモナイ特性を備えた物質なのです。31

あらゆる固体の中でもっとも摩擦が少ない事から、フライパンのコーティング32として超有名になりました。それと原理的には同じ事を利用してスキーワックスに入れちゃったのですね。

フッ素系の化合物によってこんな感じで我々の生活はとても便利になってきました。

ただ、これにも困った事が出てきます。

フッ素系の樹脂は元々自然界には無い物質であるために、分解してくれる微生物等が存在せず、作った分だけ地球上に蓄積してしまうのです。

例として、同じようにフッ素を持った化合物のフロンがあります。

冷蔵庫やエアコンの冷媒として広く使われていましたが、オゾン層破壊作用とか温室効果ガスとしての性質のために使用が禁止された事は皆さん良くご存知のはず。

フッ素入りのワックスも、もしかしたら何か将来に悪影響が出なければ良いが…… と、高価なワックスを買えない筆者は思ってしまうのでした33


おまけ解説

  1. エステルとは酸とアルコールが脱水集合した化合物
  2. 見てね サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> 脂肪酸アレコレ https://ytoku-science.fun/73/
  3. triglyceride
  4. higher fatty acid
  5. hydrocarbon
  6. wax
  7. 分留とは沸点の異なる成分を分離する手段
    蒸留の高級版と思っていれば良い
  8. Bee’s WAX:ビーズワックス
  9. 見てね サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> 脂肪酸アレコレ https://ytoku-science.fun/73/
  10. triglyceride:TG
  11. 見てね サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> 中性脂肪 https://ytoku-science.fun/40/
  12. 錠剤を作る成分としてちゃんと認められている
  13. 見てね サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> ロウソクの科学 https://ytoku-science.fun/235/
  14. 見てね サイエンスお父さんの家庭内生物学講義> 中性脂肪 https://ytoku-science.fun/40/
  15. higher fatty acid:高級脂肪酸:炭素12個以上
  16. higher alcohol:高級アルコール:炭素6個以上
  17. 洗剤等のCM で高級アルコール系洗剤とあったら、それは炭素数の多いアルコールから作った洗剤という意味であり、決して上等のアルコールでできた洗剤では無い事に注意
  18. C-C単結合:アルカン、またはパラフィン系炭化水素と呼ぶ
    C=C二重結合:アルケン、またはオレフィン系炭化水素と呼ぶ
    C≡C三重結合:アルキン、またはアセチレン系炭化水素 と呼ぶ
  19. 二重結合の無い:化学の言葉で飽和していると言う
  20. 知り合いから子供用の板と靴を5セ
    ット分譲ってもらった
    子供用とは言え、自分の子供時代とは大違いでちゃんとしたビンディングも付いている本格派
    見ていたら昔の血が騒ぎ、いつの間にか自分のを買っていた(中古ですが)
  21. polyethylene:PE
  22. ethylene:C2H4
  23. hydrocarbon:ハイドロカーボン
  24. polymerization
  25. affinity
  26. 滑らない板に半泣きで乗っているのは精神衛生上大変よろしくない
    丁寧にメンテしてあげると、ソールで前に滑らす感覚、エッジで雪面を切る感覚と、サイドにスリップさせる感覚の違いが鋭敏に判るようになるので、子供たちの上達のスピードにも影響する

  27. まだワクシングネタを引っ張るか…
  28. フッ素には歯を強くする作用もある
    子供が4歳位になったら歯医者さんでフッ素を塗ってもらうと良い
    ミネラルを取り込んで再結晶化する作用(再石灰化)の速度を高め、さらにミネラルが溶け出すのを防止したりする作用によりフッ素入り歯磨きは虫歯予防に効果的
  29. PTFE:Polytetrafluoroethylene
  30. 最初にテフロン利用が進んだのは核燃料製造の過程であった
  31. 核燃料製造の過程で使用される六フッ化ウランには強い腐食作用があり取扱いに大変な危険を伴っていたが、精製器具にテフロンを使う事で安全になり、核燃料製造の時に威力を発揮した
    テフロンの開発は,原子爆弾の開発に必須であったことからアメリカの原爆製造計画であるマンハッタン計画の中で大きな比重を占めた
  32. 民生用への転用には用途が定まらず、利用が進まなかったが焦げ付かない様にフライパンにコーティングしたら爆発的にヒットしたと聞いた
  33. ひがみである
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